人間失格

 私は人間失格を今回初めて最後まで読んだ。人間失格とは言うが、金を使いまくって薬に手を出したことは人としてダメだが、その他は仕方がないように思う。
 幼いころに仮面をかぶって生きてきた主人公が哀れでならない。自分ならきっと耐えられないだろう。主人公は金持ちの家に生まれて何不自由なく過ごしてきたのに、こんなにも悲しい道を歩まなければならなかったのは「酒」と「女」が原因なのだろうか?
 名作として現代にも残っているだけのことはある作品だと思う。深いところは今度の読書会で語ろうと思う。

人間失格 (集英社文庫)
人間失格 (集英社文庫)太宰 治

集英社 1990-11-20
売り上げランキング : 6379

おすすめ平均 star
star中学生の頃から…何遍も読みました。
star「わからない」ということの優越
starこれが意外とイイんです。

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タイムスリップ森鷗外

すいません、遅刻しました。

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 題名と表紙の絵を見てお分かりいただける通り、明治から大正にかけて活躍した作家、森鷗外が現代にタイムスリップしたら?という話である。病の床にあった森鷗外は、ある夜、道玄坂を歩いていた際に襲撃を受ける。崖から突き落とされ、目が覚めると、そこは21世紀の渋谷であった。未来にたどり着いた鷗外は親切な女子高生麓うららとその仲間たちの手を借り、過去に戻る方法と自分を襲った犯人の手掛かりを探っていく。
 推理小説にカテゴライズされているが、どちらかと言えば歴史版の都市伝説のようなお話である。いろいろな事実を基にして、あれこれと解釈を加えていき、納得いくような推論を立てているのがこの物語の特徴である。個人的には、この本の解釈の仕方には、ちょっと強引な展開や、証拠の物足りなさを感じてしまったが、でもこういう考えもいいよね、と気楽に構えて読むと結構楽しめると思う。しかし、どちらかと言えばこの話の主題は、現代に出現してしまった森鷗外の前向きな考え方や、行動の面白さにある。彼がどんなことをするのか、どんなことを考えているのか、そこにこそこの本の面白さがあるのだけれど、しかし惜しい。著者の鯨統一郎氏が序文で「作品内で森鷗外が何をするか、誰にも言わないでください」と書いているので、残念なことにここではそれを紹介することができない。彼が何をしているかはぜひ読んでみて、その面白さを実感してほしい。そのポジティブでエネルギッシュな姿は読む人に元気と笑いを振りまくだろう。
 しかし、あまりに何も紹介しないのもあれなので(そして字数的にも問題なので)、あえて一つだけ私が爆笑した鷗外の行動を書いておこう。それは……。
 「森鷗外が『コズミック』を読んでいたこと!」
 である。この一節を読んだ時、私は鯨統一郎が天才だと確信した。あの世紀末探偵神話「コズミック」を明治の文豪、森鷗外に読ませるというギャグセンス。一体彼以外の誰が思いつくというのだろう?この紹介だけで、この本のユーモアのセンスが半端でない領域にあることがお分かりいただけるはずだ。
 ……え!「コズミック」を知らないだって?それは大変だ!あの探偵神話を知らないままこの世を生きるのはもったいない。では、ここで「コズミック」について紹介しておこう!
 コズミックとは清涼院流水が生み出した、流水大説(小説ではない、小説ではないが形式としてはほぼ小説と同じである、どこに違いがあるかはぜひ調べていただきたい)である。まず目を引くのが、分厚い文庫上下巻であるが、この大説の恐ろしいところは、なんと上巻を読まずに下巻から読んだとしても、まったく問題がないという事である。すなわち、人によっては、上巻は全部無駄話なのである。私も友人に借りて読み終わった際に言ったものである。「これ上巻いらなくね?」
 内容は1200件もの大量密室殺人(心理的密室、例えば衆人環視下での殺人、も含むため、厳密に閉じた部屋の中で殺されているというわけではない)の予告とその実行である。この大量殺人事件に対して、JDC(日本探偵クラブ)という探偵集団が事件解決に奔走するのである。
 この本で最も重要な点は、「推理しなくとも謎が解ける探偵がいる」という点にある。いわゆる「メタ推理」というものなのだが、例えば普通の探偵役が事件の証拠を集めてあれやこれやと検証を重ねるのに対し、メタ探偵は突然事件の全容がひらめいたり、証拠が出揃うとその時点で真相がわかったり、寝ないでいると事件の真相が見えてきたりするのである。つまり、推理部分をはしょっているのだ。それぞれの推理の方法には「神通理気」とか「不眠閃考」等の名称がつけられており、探偵たちは必殺技でも繰り出すかの如く事件を解決していく。
 また、事件の真相そのものもかなりアレである。読了後、壁に本を投げ付ける人が多いと聞く。「1200の密室で、1200人が殺される」そんな大風呂敷を広げた結果がこれか!そう思った瞬間には本は壁に投げつけられ、大きな音を立てる。私の場合、本が借りものだったので投げられなかったが。
 この本は、いわゆる馬鹿ミステリなのだ。結末を読むと、そりゃないぜ、と思わず呟かずにはいられない。時間を無駄に使った気になる。発狂しそうになる。故に壁に本をぶつける。つまりそういう本なのである。
 しかし、それでもあえて言おう。「コズミック」には一読の価値があると。しかも上巻からしっかりと読むことをお勧めしたい。
 なぜか?それは、この本が本当の意味でまったく新しいミステリなのである。もうこれ以上の進化はないとして、決まり切った形式をとっていた「ミステリ」というジャンルに対して、「推理しない」というまったく新しい風穴を生み出した。その意味で、やはりこの本は傑作なのである。巻末の解説を担当する大森望氏によると、この本のメフィスト賞受賞によって、多くの推理作家がミステリの行く末について話し合ったりという。この本にはそれだけの力があった。その力がいったいどこからくるものなのか、私には捕えきれなかったが、しかし何かあったのは確かである。その何なのか良く分からないエネルギーを自分の目で見て、確かめてみるのは決して悪いことではない、と私は思う。
 ある意味で究極のミステリ。是非一度読んでみてほしい。
続刊の「ジョーカー」と「カーニバル」は読まなくてもいいから。

ハサミ男

今日は横浜国立大学の大学祭である清陵祭の最終日でした。
われらが友蔵は参加しませんでしたが、私自身は他の兼サーの企画に参加していました。
いやー楽しかった。カビゴン対策を63で落とすのは愚かでした。

今日の書評は殊能将之の「ハサミ男

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 [DVD]

ハサミ男 [DVD]

メフィスト賞出身というとイロモノばかりだと思われているがーそしてそれは大体あっているのですがーこの人はガチですね。
私はこの作品をDVDから見始めたという超異端児なのでDVDのほうも張っておきました。評価みれば解ると思いますが星5と星1に固まっています。賛否両論分かれているのは傑作の証拠だと個人的には思っていたり。
予算がないのかすごいチープな作りをしていますがこれは監督とか脚本の腕がすごい。
映像化不可能と言われ続けたのも頷けます。

さて、脱線をしたので本の紹介に戻ります。
あらすじの説明はアマゾンのリンクがあれば要らないのではないかと思っているので特にだらだら書きません。
この作品のすごいところは真相が解った瞬間に自分のアホさに吃驚する所ですね。
なんであんな堂々と真相が書いてあるのに見抜けなかったんだろうと凹むことうけあいです。
私はDVDを見て真相を知ってから読んだのでトリックに驚きはありませんでしたが
読み終わったあとに2chのスレとかにいくと「おーあれ伏線なんだ」となるような部分がものすごい数揃っています。
それを知ってからもう一度DVDを見ると……。


本格ミステリの「二周目」を読む意味というのは「真相が唐突過ぎて理解不能だった」ということが多いと思います。
よく感想で「二周してやっと意味が解りました!」というのを見かけるのですが、それはアメリカンジョークを解説されてから笑うのと同じでミステリをまったく楽しめていないと思います。
本格ミステリの二周目を読むのは、真相を完全に把握した上で作者の仕掛けた数々の罠と手がかりをせっかくだから全部見ておこうという、なんというかボスを倒したダンジョンの隅々を回って宝箱を開ける行為に近いものがあります。真相を理解するのに二周読む必要のある作品は「驚き」が著しく不足していると思います。
その点、この作品は安心してオススメ出来ますね。一周したらOKです。真相は簡潔に、しかし大きな意外性を持って。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読

 投稿予定から大幅に遅れて申し訳ありません、ロッテという者です。紙ベースでの書評では堅苦しい感じなのですが、ウェブ書評では少々「素」を出していきたいと思います。ということでちょっと乱暴な言い回しが出てくると思うのですがご理解ください・・・

 今回読んでみたのは『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という非常に題名が長ったらしい本です。普段東野圭吾伊坂幸太郎を読んでる自分としては普通読まない本をチョイスしてみました。決して表紙のかわいい女の子を見て選んだわけではないですよ?いや嘘じゃないですって(笑)
 ではなぜこの本を選んだのかというと、一つは書店で見た時に平積みされていたから。そしてこちらの理由が大きいのですが、この書籍がiPhoneのアプリとして出されていたからです。今年の二月に携帯を変えてからは携帯いじっている時間が一番ひどい時はもはや女子高生レベル。アプリとはiPhoneにダウンロードできる追加機能の様なものですが、この書籍が本の半額である800円でダウンロードできました。その感想は後で。そんでもって肝心の感想なのですが・・・


正   直   ひ   ど   い

…かなりざっくりいってしまいました。話の流れとしては題名通り主人公の川島みなみが女子マネージャーになって、弱小の野球部を四苦八苦しながら『マネジメント』からのヒントを得て野球部をどんどんいい方向へと導いていく...というもの。正直これで物語のほとんどを語れてしまうんですよえぇ。
 そもそも『マネジメント』ってどーゆー本なのよ、ってなわけで調べてみるとピーター・ドラッカーという経営学の第一人者が1974年に著した本。この小説の引用を見る限り、人事や組織といった経営論について書かれた本のようです。野球部の女子マネと小難しい経営論の本を結び付けるという発想は面白いと思いました。ある会社員がマネジメントを読んで...という話なら思いつきそうですが、経営とは全く関係ない学生の部活と組み合わせたのは既にマネジメントを読んだ人でも新鮮味があるかもしれません。

 しかしストーリーと描写がひどい・・・。まず登場人物の動きがほとんど「〜した、〜だった」という過去系の連発。読んでいて味気がなさ過ぎて泣きたくなってくる。少し文を書くのがうまい小学生の方がもうちょっと織り交ぜてくるんじゃないのか?というレベル。そして季節や周りの風景といったものもほとんど描かれていないので脳内補完率90%(もっと高いか?)。小説というよりはハウツー本なのである程度は仕方ないと思いますがさすがにこれはないだろ...特に過去系の連発は勘弁してほしかったorz

そしてストーリーもほとんどひねりがない。マネジメントからヒントを得て選手や監督を良くしていくと言っても、やっていることを見ると「え?ちょっと考えれば思いつきそうなことじゃない?」ってことが中にはあるし、病弱なマネージャーとかありきたりだろそれってツッコミたいし、主人公の黒歴史みたいなものは結局後半まで引っ張るほどたいしたことないし…作者はあれでストーリーに変化をつけたつもりなのだろうか。正直『マネジメント』を直接読んだ方が分かりやすいんじゃないの?

 そして理解できないのはアプリのレビューでは高評価、アマゾンのレビューでもそこそこ高評価なこと。アマゾンの方は上記と同じ様なレビューも見られますが…この本で泣けるって人は笑点見ても感動して泣いてるんじゃないだろうか。

 本についてここまでボロクソに言ったのは初めてです。ここまでひどく言われるとかえって読みたくなる人もいるんじゃないでしょうか。しかし立ち読みで済ませた方がいいです。第一章読めば見切りつけられるので。1600円を捨てることはありません、千円札燃やして成金気分を体験した方が得です。しかし電子書籍としての可能性は感じました。思った以上に読みやすく値段も紙ベースの半分。一つの端末に何十、何百といった単位で持ち運びができる。バッグのスペースも重さも取りません。五年、十年と言わず二、三年で電子書籍はどんどん進出していくのではないのでしょうか。これに気付けたことが今回得られた一番の収穫です。

サマータイム

小生、ネタばれの類は自重しませぬ。故に未読の方はこの素晴らしい作品を是非一読して、淡い青春の群像劇を御観覧あれ。もう読んだという方は、もしヒマな時間に殺されそうなのであれば、この拙文でその時間を逆に返り討ちにしてしまいましょう。では、始めます。



 


ほとんどの文庫本に言えることだが、本のカバーの後ろに書かれている説明はよくわからない。まだ読んでいない人に本を紹介するためのものなのだろうけれど、小生は未だにこの本来の機能を果たしている文に出会った事がない。今回紹介する佐藤多佳子氏のデビュー作の文庫も残念ながらそういった意味での紹介文に恵まれなかったように思う。 ――他者という世界を、素手で発見する一瞬のきらめき―― 最後から2行目のこの文。これは、ものすごくこの物語の本質をこんな短い文で捉えている。確かに紹介文としては、機能を果たしていない訳のわからない文章。(紹介文を読んだだけで物語のオチや展開が読めてしまうような薄っぺらな物語などあってはならないし、また物語の内容を一から十まで教えるようなそれもあってはならないが) しかし、この怪文書が物語を読み終えた後なら、素晴らしい詩へと姿を変えるのだ。
 他者とは何者なのか? これを読んでいるあなたならどのように他人を定義するのだろう? 明るい、仕事ができる、我がまま、目が笑ってない、声が小さい、などなどその人の行動や普段見せる性質などから「彼、彼女」を定義するのが一般的だと小生は、浅学ながら思うのだがどうだろうか。この作品の主人公たる四季のピアニストたち――進、広一、佳奈――も各々の目線で他者を発見していく。
小学五年の夏休みに進は、右腕だけで泳いでいる広一と出会った。彼は4年前の交通事故によって左腕と父親を失ったのだ。年不相応に老成された彼の雰囲気に圧倒される進。その場面を次に引用をする。
――――ぼくは、眼を皿のようにしてぶしつけにじろじろと彼を見つめてしまった。左腕がない。ない、としか言いようがない。肩から先の空白に、ぼくは胸がつまるような息苦しさを覚えた。 
彼は僕の目をきっとにらんだ。僕はあわてて視線をそらし、体中がかっかと熱くなった。
「ごめん、つまり……」
下を向いたまま謝ったが、何をいったらいいのかわからなかった。
「おまえ、両方あるのに右に曲がるのな」
 その挑戦的な台詞を、意外にも澄んだ声で言い放つと、――――
十一歳の少年が、おそらく初めて腕のない人にあってするだろう反応。そんなドギマギした幼げな反応を大人な対応で返す広一君。天気予報通りに土砂降りの雨が降り出したので進は広一君の家にシャワーを借りに招かれ、そこでピアノにであう。広一君は右手だけで色んな技巧をいれた華やかな名演奏をした。その時の曲がジャズのスタンダード・ナンバー「サマータイム」である。そのカッコよさに惹かれてか、進はピアノに興味を持ち6年後に高校のジャズ研に入る程になる。そしてある日、広一君との再開を果たすが、やっぱり進はドギマギしてばかりだったというわけだ。この話の中に一つ年上の姉・佳奈と広一君の恋愛話も上手い具合に入っている。第一章では本当に軽くにしか語られていないのだが、全章通して読んだときに台詞の一つ一つが、実はこれがここの伏線だったのか! というように3章4章の広一と佳奈の章に関わってくる。とにかく上手い構成になっているので、二、三度読んだ方も多いのではないだろうか? お勧めの小説であるから是非読んでほしい。

by H.G.D

とらドラ・スピンオフ3! (注)ネタばれやや含む

最初のブログ書評で俺が何を選ぶかっていったら「とらドラ!」しかないでしょ☆

本作はとらドラ!シリーズ1年ぶりの新刊にして、シリーズ最後の本だ。これは過去に特典としてDVDやゲームなどに収録された番外編と、新たな書き下ろしをまとめたものである。今回は書き下ろしの「ラーメン食いたい透明人間」についての書評を書く。

時期は原作で言うと10巻終盤の大河が学校を飛び出したあたり。アニメ版とエンドが異なるのでわからない人は小説も読もう!

ここで注目してほしいのは、この話の主人公は今まで損な役回りしかなかった「能登」であること。
1年ぶりなので「能登」と「春田」の区別がつかなくなっている人もいるかもしれないが、今回はメガネの「能登」である。余談だが、春田はすでに「とらドラ・スピンオフ2!」で幸せになっている。

アニメ全話見た人や、ここまでの原作を読んだ人なら「能登」が主人公って時点でどんな話かわかるはず。
竹宮ゆゆこ氏は登場キャラ全員が好きなんだと思う。ゲーム版を含めてようやく全員がたぶんハッピーになって俺としては大満足だ。


ここで現役やOBOGがどれぐらいこのブログを見ているか確かめるために、軽いテストをする。
俺こと「ぶどうのたね」はmixiでも同じ名前でやっているので、気が向いたらマイミク申請して。
外部の方でも、とらドラ!好きでこのブログを見た人ならOK。

学校の書評誌でペンネームを毎回変えているのは俺ぐらいなので、メンバー紹介に名前がなくても気にしてはいけない。さらに、本の感想が少なすぎる上に、上級生に「とらドラ!」知ってる人が多いのであらすじが一切ないことも気にしてはいけない。一応、緑色の表紙のおととしの中友蔵で書評を書いているので、知りたい人はそれを読むか原作を読むこと。

以上「ぶどうのたね」の書評でした。

とらドラ・スピンオフ!〈3〉―俺の弁当を見てくれ (電撃文庫)とらドラ・スピンオフ!〈3〉―俺の弁当を見てくれ (電撃文庫)
ヤス

アスキーメディアワークス 2010-04-10
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ベン・トー―サバの味噌煮290円

tomozo_ynu2010-04-17

 夜、スーパーで売れ残ったお弁当や見ると、こんなシールが貼ってあることがある。
「レジにて半額」
 残ってしまえばゴミとなる惣菜たちを、少しでもお金に変えようという店舗側の努力。それこそが半額シールである。そして、半額シールは同時に、お腹を減らせた貧乏学生を救う。二者の利を一致させるのが、この半額シールなのである。
 本作、「ベン・トー」はこの半額シールと、そしてそれを貼られた半額弁当を巡る、熱き少年少女たちの格闘アクションストーリーである。
 物語の概要を簡潔に説明すると上記のようになるが……しかし、未読の方には何を言っているのかさっぱりだと思う。「弁当と格闘?関係ないじゃん!韻踏んでりゃ何でもいいわけじゃねえぞ!」こんなことを思われていることだろう。
 そこで思い浮かべてほしいのが、バーゲンで我先にと安売り商品を奪い合うおばちゃんたちの姿である。あのおばちゃんたちを、若々しい高校生に置き換え、戦闘シーンをかっこよくし、奪い合うものを半額弁当に置き換えてみて欲しい。
 ……はい、本作「ベン・トー」の出来上がりだ。つまるところ、この小説は半額弁当を真剣に奪い合う高校生たちの物語である。
 主人公、佐藤洋はこの春から一人暮らしを始めた高校1年生。彼は貧乏故に何とかお金の消費を抑えようと、夜のスーパーで半額弁当を狙うのだが、そこで待っていたのは弁当を巡る激しい戦場だった!そんなあらすじである。
 お分かりのように、この物語は無茶苦茶設定である。そのため基本的に半額弁当を手に入れるためだったら、大体のことは許される。殴ってよし、蹴ってよし、カートで引いてよし。激しい暴力で吹き飛ぶ人多数だし、気絶する奴も多い。そのうち半額弁当で死者が出そうな勢いだ。しかし、どうしてそういうことになっているのかとか、警察は来ないのかとか、他のお客さんはどうしているのか、などという説明は一切なされない。すべては半額弁当の為、というノリと勢いだけで出来ている。まあ、近年の娯楽小説はだいたいそんなものだが。なので、もしこの本を読もうと思うのであれば、まず現実という色眼鏡を外すのがいいだろう。
 一方、意外にも本作は、シリアス部分を結構真面目に描いている。このような無理な設定を押し通して書いているせいもあってか、最初の方のシリアスなシーンはほとんどギャグである。いやむしろシリアスなほどギャグである。「たかだか200円程度の割引になぜこんなに必死なんだ、お前ら」。読者はおそらくそう笑い飛ばすであろう。 
 だが、読み進めていくと、なぜかある時その感情がひっくり返る。唐突にキャラクタたちのことを「あ、かっこいい」と思える瞬間を迎えてしまうのだ。馬鹿にした感情はいつしか薄れ、キャラクタたちの真剣さ、勇猛さに心を打たれる。意味なく高いプライドに感銘を受ける。すごくくだらないことをしているはずなのにかっこいい。それこそが本作の醍醐味である。
 なぜそんな風に思うのか。これは、半額弁当を得るために戦う主人公の心理変化が、非常に丁寧に描かれているためだろう。主人公はそこそこ常識人である(登場キャラ全体の相対論的に)。そんな彼が、半額弁当を奪うためにさまざまな障害を乗り越えたり、なぜ半額弁当に真剣になるのかを迷ったりする。そして徐々に半額弁当を得る意味と楽しみを見つけていくのだ。その過程の描き方が自然だからこそ、弁当を奪い合う戦いがすごくかっこいいことのように共感できるのだと思う。
 惜しむらくは作中ちょこちょこ挟まれる、父親ネタ、同級生の男子のネタ、回想ネタがことごとく面白くないことだ。もっとも、それはこの書評を書いている俺の笑いのツボがずれているせいかもしれないが。
 ともかくも非常にくだらなく、それでいて熱い作品である。シリアスとしては滅茶苦茶不利な設定であるにも関わらず、個人的にはその辺のジャンプ漫画よりずっと熱い展開を見せていると思う。
 一回読むとはまるかもしれない。
(text by 蓬莱ニート