タイムスリップ森鷗外

すいません、遅刻しました。

                                                                                                                                                                              • -

 
 題名と表紙の絵を見てお分かりいただける通り、明治から大正にかけて活躍した作家、森鷗外が現代にタイムスリップしたら?という話である。病の床にあった森鷗外は、ある夜、道玄坂を歩いていた際に襲撃を受ける。崖から突き落とされ、目が覚めると、そこは21世紀の渋谷であった。未来にたどり着いた鷗外は親切な女子高生麓うららとその仲間たちの手を借り、過去に戻る方法と自分を襲った犯人の手掛かりを探っていく。
 推理小説にカテゴライズされているが、どちらかと言えば歴史版の都市伝説のようなお話である。いろいろな事実を基にして、あれこれと解釈を加えていき、納得いくような推論を立てているのがこの物語の特徴である。個人的には、この本の解釈の仕方には、ちょっと強引な展開や、証拠の物足りなさを感じてしまったが、でもこういう考えもいいよね、と気楽に構えて読むと結構楽しめると思う。しかし、どちらかと言えばこの話の主題は、現代に出現してしまった森鷗外の前向きな考え方や、行動の面白さにある。彼がどんなことをするのか、どんなことを考えているのか、そこにこそこの本の面白さがあるのだけれど、しかし惜しい。著者の鯨統一郎氏が序文で「作品内で森鷗外が何をするか、誰にも言わないでください」と書いているので、残念なことにここではそれを紹介することができない。彼が何をしているかはぜひ読んでみて、その面白さを実感してほしい。そのポジティブでエネルギッシュな姿は読む人に元気と笑いを振りまくだろう。
 しかし、あまりに何も紹介しないのもあれなので(そして字数的にも問題なので)、あえて一つだけ私が爆笑した鷗外の行動を書いておこう。それは……。
 「森鷗外が『コズミック』を読んでいたこと!」
 である。この一節を読んだ時、私は鯨統一郎が天才だと確信した。あの世紀末探偵神話「コズミック」を明治の文豪、森鷗外に読ませるというギャグセンス。一体彼以外の誰が思いつくというのだろう?この紹介だけで、この本のユーモアのセンスが半端でない領域にあることがお分かりいただけるはずだ。
 ……え!「コズミック」を知らないだって?それは大変だ!あの探偵神話を知らないままこの世を生きるのはもったいない。では、ここで「コズミック」について紹介しておこう!
 コズミックとは清涼院流水が生み出した、流水大説(小説ではない、小説ではないが形式としてはほぼ小説と同じである、どこに違いがあるかはぜひ調べていただきたい)である。まず目を引くのが、分厚い文庫上下巻であるが、この大説の恐ろしいところは、なんと上巻を読まずに下巻から読んだとしても、まったく問題がないという事である。すなわち、人によっては、上巻は全部無駄話なのである。私も友人に借りて読み終わった際に言ったものである。「これ上巻いらなくね?」
 内容は1200件もの大量密室殺人(心理的密室、例えば衆人環視下での殺人、も含むため、厳密に閉じた部屋の中で殺されているというわけではない)の予告とその実行である。この大量殺人事件に対して、JDC(日本探偵クラブ)という探偵集団が事件解決に奔走するのである。
 この本で最も重要な点は、「推理しなくとも謎が解ける探偵がいる」という点にある。いわゆる「メタ推理」というものなのだが、例えば普通の探偵役が事件の証拠を集めてあれやこれやと検証を重ねるのに対し、メタ探偵は突然事件の全容がひらめいたり、証拠が出揃うとその時点で真相がわかったり、寝ないでいると事件の真相が見えてきたりするのである。つまり、推理部分をはしょっているのだ。それぞれの推理の方法には「神通理気」とか「不眠閃考」等の名称がつけられており、探偵たちは必殺技でも繰り出すかの如く事件を解決していく。
 また、事件の真相そのものもかなりアレである。読了後、壁に本を投げ付ける人が多いと聞く。「1200の密室で、1200人が殺される」そんな大風呂敷を広げた結果がこれか!そう思った瞬間には本は壁に投げつけられ、大きな音を立てる。私の場合、本が借りものだったので投げられなかったが。
 この本は、いわゆる馬鹿ミステリなのだ。結末を読むと、そりゃないぜ、と思わず呟かずにはいられない。時間を無駄に使った気になる。発狂しそうになる。故に壁に本をぶつける。つまりそういう本なのである。
 しかし、それでもあえて言おう。「コズミック」には一読の価値があると。しかも上巻からしっかりと読むことをお勧めしたい。
 なぜか?それは、この本が本当の意味でまったく新しいミステリなのである。もうこれ以上の進化はないとして、決まり切った形式をとっていた「ミステリ」というジャンルに対して、「推理しない」というまったく新しい風穴を生み出した。その意味で、やはりこの本は傑作なのである。巻末の解説を担当する大森望氏によると、この本のメフィスト賞受賞によって、多くの推理作家がミステリの行く末について話し合ったりという。この本にはそれだけの力があった。その力がいったいどこからくるものなのか、私には捕えきれなかったが、しかし何かあったのは確かである。その何なのか良く分からないエネルギーを自分の目で見て、確かめてみるのは決して悪いことではない、と私は思う。
 ある意味で究極のミステリ。是非一度読んでみてほしい。
続刊の「ジョーカー」と「カーニバル」は読まなくてもいいから。