獣の樹

獣の樹 (講談社ノベルス)

獣の樹 (講談社ノベルス)

 ある人は舞城王太郎を天才と呼び、またある人は舞城の作品を虚仮威しだと言います。そのどちらも正しいと思います。すなわち、舞城は虚仮威しの天才なわけです。何を言っているかわからない?いや俺にもわかりません。しかしながら、舞城王太郎の魅力はズバリそこにあると思います。設定は破天荒だし、状況は異常かつ異様、人物の行動原理も時々理解不能で、結局何が何だかぐちゃぐちゃだけれど、しかし最後読み終わった後に、なるほど、この話を書いた奴は天才だ、ということだけは分かる。それこそが舞城文学の真骨頂でしょう。
 「獣の樹」を人に薦められる本かと問われたならば、ぶっちゃけあまり薦められないと答えます。だいたい、話の冒頭からして「14歳くらいの、背中にタテガミをはやした少年が、馬から生まれてくる」ですから。現代ものの小説で初っ端にこんな設定を出してくるあたり、読む人を選ぶことは確実。後半もぶっ飛んだ構成ですし、何より残念だったのが、終わりが中途半端だったこと。これはちょっといただけないと思いました。読後感がもやっとすること請け合いです。
 しかし、上記の部分をなんなくスルー、もしくはばっちり耐えられる、あるいは「コズミック」を一度でも読んでいる人にならば、私はこの本をお勧めしたい。なぜなら、以上の部分を差し引いたとしても、面白い部分がかなり多いと思っているからです。
 この本の主題にして、最大の見どころは主人公の成長過程なのですが、これがもう凄く良い。こんなわけわからん設定の話で良く主人公の成長を描いたな、と思うと同時に、この設定ならではの成長の形を描き切っている、とも思いました。舞城オリジナリティが遺憾なく発揮されています。
 物語の最初、馬から生まれ落ちた直後の主人公はまったくの空っぽでした。記憶がなく、常識や善悪の概念、社会通念のようなものを持たない、体と知識だけが14歳の人間(もっともタテガミや、その他妙な力があったりしますが)として生まれます。親も何もわからない主人公は、ある家で拾われることになります。そこから、主人公が人間集団――例えば家族や学校――に触れ合い、彼の成長が始まります。
 何もわからない空っぽの彼には、言葉を額面通りに受け取る、つまり言外に含まれているモノを一切排除してしまうところがありました。そのせいで、彼は日常生活でたびたび問題にぶち当たってしまいます。それは例えば、クラスメイトの皮を剥いだ時であり、殺すぞ、と言われて、全力で殺し返してしまったりしたときです。問題にぶつかる度に彼は考えさせられ、そして人から教えられます。言葉一つの受け取り方、その裏にあるもの、責任の在り処、謝罪の意味。人から言葉ではっきりとは教えてもらえない部分に、逐一細かくこだわって、理屈っぽく筋道立てて、納得いくような答え見つける。そして、恐らく私たちが無意識にそうだと考えている常識を明文化し、理解していきます。まったくの無知から人間への成長。それが極めて丁寧に段階的に描かれています。広げた話の展開を無視し、成長小説としてのみ本作を見るなら(というかある程度までは作者もそのつもりで書いたのではないかと思うのですが)、あの終わり方もありかな、と思えるほどこの本は「成長する」ということが良く書けています。
 薦めづらいですが、もし読む人がいれば、読後の感想が知りたい一冊です。気が向いたらどうぞ!

text by 蓬莱ニート

追記:更新が滞っていたのは正月やテストのせいとかじゃないからね!