椿姫

前々年度委員長のPです。
この夏インドに1人旅して、久しぶりにしっかりと本を読み、
色々考えることができたので、ついでに駄文ではあるが書評を書く。

椿姫 (新潮文庫)

椿姫 (新潮文庫)

タイトルは「椿姫」
著者はデュマ・フィス
彼は「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」で有名なアレクサンドル・デュマの息子である。


あらすじ
19世紀頃のフランスを舞台とした、娼婦であるマルグリットと青年アルマンの恋の物語。
幾人ものパトロンを抱え、艶やかな娼婦として、散財を繰り返すマルグリット
そんなマルグリットに、純で一途な恋をするアルマンと
アルマンの誠実な愛に心奪われ、荒んでいたマルグリットの身と心が
徐々に年齢然とした少女的な感情を取り戻していくお話。


オペラにもなり、非常に有名な小説である。
話は、マルグリットの死後、彼女の遺品で行われるオークションに
語り部が参加するところから始まる。
最初からネタばれであるが、マルグリットは死ぬ。
少女的な感情を取り戻していくとか書いたけど、読んだ頭から死んでいる。
死因は結核。彼女の死の間際の日記も本文に出てくるけど、
人の死んでいく様に鬼気迫るものがあった。


話がそれたので、元に戻す。


語り部は、気まぐれから、マルグリットの遺品での一つである一冊の本を競り落とす。
後日、旅から戻ってきたアルマンがその本を譲ってもらいたいと訪ねてきて、
代わりに、彼がマルグリットとの愛がどのようであったかを語っていくという形で話は進んでいく。


最初はマルグリットは娼婦という身分であり、男からしても、娼婦側からしても
その交わりは、ただの火遊びでしかなく、
その中に身を潰すまで飛び込むのは馬鹿のやることだという言葉を
マルグリットの友人や、アルマンの友人はアルマンに言う。
しかし、愛に燃えるアルマンにはそんな言葉は障害の一つにもなりはしない。
娼婦的な美しさ、艶やかさの中に彼が見つけた少女的可愛らしさ、純粋さに魅了され、
彼はマルグリットにどこまでものめりこんでいく。
そして、それまで娼婦として扱われてきたマルグリットは
1人のレディとして、献身的に接するアルマンの行動、心に魅かれ二人は相思相愛となる。


ここで終われば、ただの良い話で、
現代まで愛される名著としては残らなかっただろうと私は思う。


そんな二人の仲を、アルマンの父は良く思わず、二人の仲を裂こうとする。
アルマンが冒頭で旅に出ていたこと、マルグリットが死んでいることから
この思惑は父の計略通りに上手くいったのだろうという想像にたどり着くのは難くない。


しかし、父の計略は、身分とかそういった世俗的名誉に固執したためではなく、
深い家族愛のためであり、単に嫌気がさすような醜悪さを感じるものではない。
むしろ清廉なものを感じさせるあたりが、名作たりえる理由の一つであったように思う。


恋愛で大事なのは、それまでの生き方がどのようなものではあるかではなく、
その心の本質が救済の余地のある純粋さを持っているかであると語っていたのではないかと思う。
何人と身を重ねようが、その心に輝く物があればよし。
逆に言えば、体が純潔でも性根が腐っていれば駄目という事だ。


恋愛経験に乏しすぎる私にとって、
二人の恋愛の過程における深いと思われる機微については
「そういうものか、ふーん」程度の想いしか抱くことはできなかったが、
全て読み終わってみれば、
相手の幸せを己の身よりも第1に考えることができるような恋愛の深さや
その決断のための葛藤などが、心に痛かった。
携帯小説を低俗とは言わないが、あの中で語られる純愛に感動し、
思考を停止する前に続けて読んでほしい1冊である。


追記
仏文科の友達曰く、フランス小説に娼婦との恋愛は良くある話らしい。
フランスの小説=フランス書院と頭に出てくるような汚れた私には「へぇー」としか言いようがない。
(フランス書院を読んだことはないが)
純な愛とは何なのか、こうまで身を投げだせる愛というものがあるものなのか、
そして自分にこういう愛は見つけられるのか←これ重要
色々と考えた結果、とりあえず書とPCを捨て町に出ようということにした。


本を読んでいるだけでは、運命の相手は見つからないのだ。
行動あるのみである。


追記2
書いていてふと思ったが、
・幾人とも関係を持つ
・本質を理解してくれる男は1人
・その愛で変わる
・第3者の計略で二人の仲は裂かれる
・病気で死ぬ
・真実の愛に気づく


箇条書きであらすじを書くと薄っぺらくなるな。
しかし、携帯小説と通じる点がいくつもあって、時代や国が変わっても、
人の心を引き寄せる物語というのは、変わらない物なんだろう。
本当の中身は全く薄っぺらくないので読むことを薦める。