人形の家

人形の家 (岩波文庫)

人形の家 (岩波文庫)

 知っている人は知っている、知らない人は全く知らない、イプセンの名作戯曲「人形の家」。そこそこ社会的に地位のある夫に嫁いだ、世間知らずの女性「ノラ」が、ある事件をきっかけに自己と社会的な立場を考え、夫から独立するという、当時の新しい女性の在り方をテーマにした物語だ。題名の人形の家とは、物語が始まった当初のノラが、意志も自己もない、ただ夫の好みのための着せ替え人形でしかない、というところから来ている。
 3幕構成で、1,2幕で事件が進行し、3幕目で物語が収束する筋立てで、現代人が読むとやっぱりちょっと急展開な気がしないでもない(まあ、古典と言うのはおおよそそんなもんだが)し、実際のところ、こういう女性の独立の話は現代には腐るほどあるので、あまり娯楽としての目新しさはないけれど、そのすべての原点であるこの物語を読んでみるのは決して悪くはないと思う。
また、イプセンのセリフ回しは物事の確信を突くものが多く、短編だが読みごたえは結構ある。特に次のノラとクログスタの2人のやり取りがとても心に残っている。
クログスタ「法は動機のいかんを問いませんよ」
ノラ「そんな法律は悪い法律に違いないわ」
このセリフは、ノラが過去に家族や夫のために、違法な方法でクログスタから借金をしてしまい(これが、ノラが社会的独立を決意する事件の発端でもある)、その借金をかたに脅された際のやり取りだ。ノラのこのセリフは、彼女の無知を象徴するようなセリフだけれど、同時に法の在り方について、鋭く風刺しているようにも思える。ノラにとっての法律は、良く知らないけれど人のためにあるものだ、という認識だ。だからノラとしては、家族のために違法とされている手段で借金をしたけれど、しかしそれは家族を想っての事なのだから当然許されてしかるべき事だ、と言うわけである。これは確かにまったく道理が通っていない。だが作者は、ノラの口を通じて、もし法というものが人のためにあるのなら、そこにある善意を組み取れないことは法自体に機能的な不備がある、と言っているように思えるのだ。そして、その言葉は、世間知らずな、言いかえれば無垢で世間ずれしていないノラを通じて言わせることで、偽善のない、心からそう思っている言葉として感じられる。会話劇だけでこれをやってのけるイプセンの手腕は素晴らしいものがある。一読の価値はあるだろう。
そして、もうひとつ。これは悪い楽しみ方だが、昔の翻訳は全般的に「なんでこの場面でそういう語尾使っちゃうの」という絶妙な書き方をしてくれるせいで、キャラクタ達がどうにもとぼけたようになってしまって、どこかおかしみがある。人によってはちょっと違和感があるかもしれないが、私はどうにもこの妙な直訳っぽさが好きだ。そういうところに突っ込みを入れながら笑って読むのもいいかもしれない。
そんな感じでお勧めです。
そして読んだらコメントカードを書いて全国読書マラソンコメント大賞に出してみよう!
締め切りは10月初旬、詳しくは生協にて。

(今回、私が読んだのは、角川文庫、昭和二十七年八月十五日初版、イプセン作 山室静訳でして、流石に絶版していたたらしく、とりあえず岩波のサンプル写真を置きました。)

text by 蓬莱ニート