サマータイム

小生、ネタばれの類は自重しませぬ。故に未読の方はこの素晴らしい作品を是非一読して、淡い青春の群像劇を御観覧あれ。もう読んだという方は、もしヒマな時間に殺されそうなのであれば、この拙文でその時間を逆に返り討ちにしてしまいましょう。では、始めます。



 


ほとんどの文庫本に言えることだが、本のカバーの後ろに書かれている説明はよくわからない。まだ読んでいない人に本を紹介するためのものなのだろうけれど、小生は未だにこの本来の機能を果たしている文に出会った事がない。今回紹介する佐藤多佳子氏のデビュー作の文庫も残念ながらそういった意味での紹介文に恵まれなかったように思う。 ――他者という世界を、素手で発見する一瞬のきらめき―― 最後から2行目のこの文。これは、ものすごくこの物語の本質をこんな短い文で捉えている。確かに紹介文としては、機能を果たしていない訳のわからない文章。(紹介文を読んだだけで物語のオチや展開が読めてしまうような薄っぺらな物語などあってはならないし、また物語の内容を一から十まで教えるようなそれもあってはならないが) しかし、この怪文書が物語を読み終えた後なら、素晴らしい詩へと姿を変えるのだ。
 他者とは何者なのか? これを読んでいるあなたならどのように他人を定義するのだろう? 明るい、仕事ができる、我がまま、目が笑ってない、声が小さい、などなどその人の行動や普段見せる性質などから「彼、彼女」を定義するのが一般的だと小生は、浅学ながら思うのだがどうだろうか。この作品の主人公たる四季のピアニストたち――進、広一、佳奈――も各々の目線で他者を発見していく。
小学五年の夏休みに進は、右腕だけで泳いでいる広一と出会った。彼は4年前の交通事故によって左腕と父親を失ったのだ。年不相応に老成された彼の雰囲気に圧倒される進。その場面を次に引用をする。
――――ぼくは、眼を皿のようにしてぶしつけにじろじろと彼を見つめてしまった。左腕がない。ない、としか言いようがない。肩から先の空白に、ぼくは胸がつまるような息苦しさを覚えた。 
彼は僕の目をきっとにらんだ。僕はあわてて視線をそらし、体中がかっかと熱くなった。
「ごめん、つまり……」
下を向いたまま謝ったが、何をいったらいいのかわからなかった。
「おまえ、両方あるのに右に曲がるのな」
 その挑戦的な台詞を、意外にも澄んだ声で言い放つと、――――
十一歳の少年が、おそらく初めて腕のない人にあってするだろう反応。そんなドギマギした幼げな反応を大人な対応で返す広一君。天気予報通りに土砂降りの雨が降り出したので進は広一君の家にシャワーを借りに招かれ、そこでピアノにであう。広一君は右手だけで色んな技巧をいれた華やかな名演奏をした。その時の曲がジャズのスタンダード・ナンバー「サマータイム」である。そのカッコよさに惹かれてか、進はピアノに興味を持ち6年後に高校のジャズ研に入る程になる。そしてある日、広一君との再開を果たすが、やっぱり進はドギマギしてばかりだったというわけだ。この話の中に一つ年上の姉・佳奈と広一君の恋愛話も上手い具合に入っている。第一章では本当に軽くにしか語られていないのだが、全章通して読んだときに台詞の一つ一つが、実はこれがここの伏線だったのか! というように3章4章の広一と佳奈の章に関わってくる。とにかく上手い構成になっているので、二、三度読んだ方も多いのではないだろうか? お勧めの小説であるから是非読んでほしい。

by H.G.D