月と六ペンス 著・サマセット・モーム 訳・厨川圭子

 ども、浮浪者です。暑さ寒さも彼岸まで。一気に寒くなってきましたね。こんな日は鍋喰ってさっさと風呂入って寝るに限ります。そして、昼間まで寝るという(笑)。こんな生活のペースで10月から始まる学校にちゃんと出られるかが心配です。

はじめに

 さて、今回紹介&ちょっとした感想書かせてもらうのは、「月と六ペンス」という作品。画家のゴーギャンをモデルに書いたもので1919年に出版されたモーム出世作モームは短編「」なんかも有名らしく、それを5月の大友蔵で書評を書かせてもらいましたけど、新潮の訳が正直ひど過ぎてホントのこと言っちゃうと、こっちを紹介したかった。
 この本との出会いは去年の5月。友蔵に入って最初の冊子を作って次に書くやつ何にしようかと思い、ふらりと帰り道に近所の本屋で見つけた。海外作家コーナーの中で題名がひと際かがやいて見えた。月とスッポン的な意味なのかな? と手に取り10ページくらい読み進める。皮肉で一杯の文。悪くないな、購入決定っと。こんな風に買ったら大体の場合、いわゆる積読にしてしまうのが僕の常なもので、今年の4月まで放置してしまっていたんです。いやあ、GEOっていいところですね
そんなこんなで忙しく(えっ? DVDばっか観てたのに? 去年の5月に購入して、今年の4月に読み始め、7月の中頃に読了、そして9月の末に書評を書く。約一年の時を超えてようやくこの作品に対しての感想を書くことができ、まことに感動しておるわけです。(棒

読んだ感想(私的、あるいはエンターテイメント的な

 主人公のストリックランドを始め全体的にエゴがむき出しの登場人物が多くて、性善説を疑いたくなる程だったけど、そこがなかなか痛快で面白かった。例えば「もう奥さんを愛してはいないのですか」と聞かれて「ぜんぜん」と答える場面。ストリックランドさんのビッグマウスっぷりに失禁しそうになる半面、妙にその残忍さが真理を言い当てているような気がしたのだ。ストリックランド婦人の世間体をしつこく求める醜さや、ダークの滑稽な情熱に代表されるように、社会的に善き人とされている人物の弱さを書いていて、それに対して残酷な仕打ちをやっていくストリックランドが妙に魅力的だった。それは、もしかするとその残酷さがとても純粋に見えるからなのかもしれない。
ウィキによると「自分は批評家たちから、20代では残忍、30代では軽薄、40代では皮肉、50代では達者、現在60代では皮相と評されている」と先生は仰っていたそうなので、自分は年相応の考えなんだなと少し安心した。

テーマとかを予想してみる。

 読み終わり、全体から考えさせられたのは、同情についてだ。一人の画家が自分の表現したいものに行きつき、そして死ぬまでを書いた作品だから当然なんだけどストリックランドに関わった沢山の登場人物が出てくる。彼らの目線からストリックランドが語られて物語が進んでいく。最初は平凡でつまらない無愛想な人間として、次に家庭を捨て、人としての情も捨てさりキャンバスに向かう鬼として、最後は束縛の多い西欧社会から飛び出し、自分の魂あり様そのままで生きる自由人として語られている彼。一見すると悪いやつとして語られているが、しかし、そのどれもが彼に対するある種の同情があるのだ。
 それは真理に対する興味を絶やさない人間に対する、雲のようなそれを追い続ける人間に対する同情なのかもしれない。
 評価
この作品に出合えて良かったと心から思える物の1冊[rakuten:book:13116706:detail]