十角館の殺人

「僕にとって推理小説は、あくまでも知的な遊びのひとつなんだ。小説という形式を使った、読者対名探偵、読者対作者の刺激的な論理の遊び。それ以上でも以下でもない。だから、一時期日本でもてはやされた“社会派”式リアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底を擦り減らした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえる。――やめてほしいね。汚職だの政界だの内幕だの、現代社会の歪みが生んだ悲劇だの、その辺も願い下げだ。ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうが、やっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……。絵空事で大いに結構。要はその世界で楽しめればいいのさ。但し、あくまで知的に、ね。」以上、作中からの引用。

今回紹介するこの綾辻行人のデビュー作である「十角館の殺人」は日本ミステリ史に残る大傑作である。「綾辻以前」「綾辻以降」という言葉が存在するほど、この作品が世に与えた影響は大きい。
粗筋としては「ミステリ研究会が孤島で合宿。外界との連絡が絶たれた状態で次々と起こる連続殺人事件。犯人は誰だ!」で済む簡単なものである。ボトルレターに真相を書いて海に投げ入れるシーンを見た読者は、この作品がクリスティの某作品を強烈に意識して書かれたものだと気づくかもしれないが、別にわからなくても問題なく楽しめる。
冒頭で引用した台詞は作中の人物が発したものだが、これはそのまま作者の声であると言ってしまってもいいだろう。上のような考えで書かれた作品を「本格」、社会の暗部や人間の闇を書いた作品を「社会派」という。この単語は私の書評でおそらく頻出するのでこの機会に是非抑えておいて欲しい。もちろん、十角館の殺人本格ミステリだ。この本を手にとったあなたは綾辻行人からの挑戦状を手にとったことになる。
 誤解しないで欲しいのは、本格だからといってメモ帳片手にアリバイをメモして密室の見取り図を書いてトリックを解決しなければいけないわけではない(そういう極端なゲーム小説も存在する。時刻表トリックなどが典型)。ただ読み進めるだけでもこの作品は十分楽しめる。そして真相に驚愕することになるだろう。
 ミステリというジャンルの性質上、内容に触れる訳にはいけないのであまり内容が伝わって来なかったかもしれないが許して欲しい。十角館の殺人はミステリ入門書としては最適だと思うので、まだこのジャンルを読んでいない人は是非手にとって欲しい。

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)